不労所得マニュアル経済思考

マニュアルに頼らない不労所得

不労所得マニュアルで繰り返し述べてきたように近代経済学が想定する「世界」とは、合理性に基づいて自由意 思で行動する「経済人」によって構成されるマーケットに他ならない。このマーケットは、「価格」 のつく商品のみを取り扱う。 このことを敷術して言うならば、もし、資本主義社会において文化伝統を守りたいとか、ある いは自然環境を守りたいというのであれば、そういった運動が「利」を産み出す仕組みを作り出せ というのが資本主義の論理なのである。

 

 

しかし、ブータンの唱えるGNHの思想ではそうした発想はない。 文化はそれ自体、重要なのであり、人々の幸福感と直結しているから大事なのだというのがブー タンの考え方である。

 

 

また、自然と調和のとれた生活をすることは、それ自体が金銭に換算でき ない価値があるのだから、自然を破壊することによって所得を増やす場合には慎重な判断が必要 という考え方なのである。 つまり、たとえ経済的に豊かになれるとしても、それによってブータンの伝統社会が破壊されるのは望まないし、また他の多くの国々のように、人間の都合のために(つまり、ヒューマニズム〈人 間中心主義〉に基づいて)自然を破壊するのも避けるべきであるというのが、ブータンのナシヨナル・ ポリシーなのである。 学は取り扱わないし、ましてや人々の心の荒廃などというのも、もちろん経済学の対象外である。

 

 

たとえば「自己犠牲の精神」にしても、経済学が扱う場合には「利他的な行動をすることによって、 その人が一定の利益を得るからであろう」という解釈に立つ。すべては利益、コストによって換 算するのが近代経済学の基本なのである。

 

 

実際、ブータンの憲法では森林面積が国士全体の六割を下回らないこと、また自然環境の維持 や野生動物の生存を脅かすような商業活動・工業活動をすることが禁じられているのだが、こう した規定が単なる「スローガン」でないことは、近代国家としての必要不可欠なインフラである舗 装道路や送電施設の建設であっても、それが豊かな自然を破壊することにつながるのであれば行 なわないということにも現われている。 ブータンでは有名な話が語り継がれている。

 

 

それは電気の通じていないある村に電気を通すO DA案件が持ち上がった。たいていの国なら飛びつくようないい話である。 しかし、その村には昔から鵺が飛来してきて、巣作りをするという事情があった。もし電気を 通すために高圧電線を張り巡らすことになれば、飛来してきた鶴がその高圧電線に衝突し、鶴は 巣作りのためにこの村には来れなくなるのではないかという議論が巻き起こった。結局、村人た ちは「それでは鶴がかわいそうだ」と考えて、村に電気を通す計画を撤回してもらうことにしたと いう。電気のある文化的な生活よりも、鶴との調和的な生活を選択したということになろうか。 それのほうが、GNHが高いということなのである。

 

 

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