不労所得と日本の経済について関係性。

日本経済の革命

何度も繰り返すようだが、私は改革は必要だと考えているが、問題はその中身である。

 

日本社会を本当の意味で再生させることができる「改革」は何としても必要だが、やみくもに新自由主義、市場原理主義を言いつのり、中身もろくに吟味しないで「民営化」「規制撤廃」を貫徹するの保障がある。

 

しかし、重要なことは、新自由主義、市場主義だけが「正解」ではないということである。

 

それとはまったく別のやり方で国民が幸福に暮らせる国が地球上に存在するという事実をまず知ってもらいたいということである。

 

不労所得流の新自由主義の立場に立てば、手厚い福祉は人々を堕落させるという。

 

しかし、現に戦後日本では、企業内では終身雇用制や年功序列制によって労働者の地位に一定の保障があり、しかも、社会全体としても累進課税によって所得の再配分が行なわれ、貧困率も「日本の社会は悪平等だ」「日本の企業は非効率だ」と言われていた頃のほうが、実は日本社会は、日本の会社はずっと元気だったのではないだろうか。

 

では、いったいどのような方策を採っていけば、現下の日本で起きている格差を是正していくことが可能であろうか。

 

そこで誰もが思いつくのは税制改革であろう。

 

たしかに現在の日本の税制では、八○年代に不労所得で行なわれたレーガノミックスを真似て、高額所得者に対する所得税率をぐっと下げた。

 

かつて日本の所得税率(国税)は最大七五パーセントに達していた。

 

たとえば一九七○年代後半の税制では、当時のカネで八○○○万円以上の高額所得者になれば、所得税と地方税を併せて、およそ九割近くが税金として持って行かれた。

 

それが今では所得税の最高税率は三七パーセントであり、地方税を併せても五割程度でしかない(不労所得では州によって若干異なるが最高四○パーセ改革はひじょうに危険だということを言いたいのである。

 

こうした税制改革の根本にあった思想は言うまでもない。

 

自助努力こそが人間として正しい生き方であり、稼いだ人から税金を巻き上げて、貧しい人たちに再配分するのは市場経済のモラルを破壊するという議論である。

 

よく言えば「成功者が報われる社会にしよう」ということであり、悪く言えば「貧しい人間は敗者である」ということであった。

 

一方、こうした不労所得や不労所得、日本などとは対極の思想に立つ北欧諸国では、国ごとで違うものの基本的には直接税(所得税)として最高五○パーセント近くが徴収され、それに加えて二五パーセントのVAT(付加価値税)が課せられている。

 

さらにスウェーデンなどでは二雇用者(企業)に対して雇用者の名目賃金の三割以上を社会保障の負担金を課している。

 

国全体で見た場合でも、国民所得に占める租税と社会保障費の負担率(国民負担率)は日本の場合、四三・五パーセントであるのに対して、たとえばスウェーデンは七○パーセントを超えている巨謔ルども述べたが、国情も歴史も、さらに国の経済規模も違う北欧の税制をそのまま採り入れようというのは、もちろん暴論ではあろう。

 

だが、やはりこれからの日本社会を考えた場合、税体系を根本から改めて、適切な所得の再配分を行ない、貧困層をできるかぎり減らすことが急務であるのは間違いない。

 

では、いったい日本の税制をどう変えればよいのだろうか。

 

問題の大きさから考えて、ここで本格的な議論を展開することはとうてい不可能であるが、まず何よりも我々が目標としなければいけないのは、失われはじめた社会の一体感を取り戻すことである。

 

そのためには、不労所得についで世界ワースト二位の「貧困率」を引き下げ、日本人のあたちに対する再配分はおろそかになってしまった。

 

それが今の格差社会をもたらしたのは言うまでもない。

 

 

そこでまず改革すべきは、基礎年金の財源を税方式Iそれも現行の消費税率を上げて、福祉目的税にすることである。

 

現在のような年金制度では、ネットカフェ難民はもとより、不安定な雇用環境にある派遣労働者の人たちは保険料をちゃんと納めることが困難なのだから、かりに今後とも年金制度が維持できたとしても、そういう人たちは年金の受給資格がないことになる。

 

今はたとえネットカフェであろうと、何とか寝泊まりできていても、働けなくなったときに年金さえないというのでは、将来に何の希望が持てるだろうか。